呉鎮守府(くれちんじゅふ)の開庁

今回は、呉と海軍の関わりについて説明するよ!

明治22(1889)年、海軍の基地である「鎮守府」(ちんじゅふ)が呉に設置されました。

当時の日本は、海のまもりを固めるため、日本列島に4つの鎮守府を置きました。

海軍区
鎮守府と海軍区

海軍は、日本の海を4つに分けて守ることにしたんだね!!

呉市の他に鎮守府(ちんじゅふ)が置かれたのは、神奈川県横須賀(よこすか)長崎県佐世保(させぼ)京都府舞鶴(まいづる)です。

大正期の呉鎮守府
鎮守府の庁舎 大正時代(出典:『広島県写真帖』)
用語解説

鎮守府(ちんじゅふ)とは、海軍の艦(ふね)を管理したり、兵隊(へいたい)さんの訓練(くんれん)をしたり、(ふね)や兵器(へいき)の工場もある 海軍の基地のことです。

「安芸」

呉の地形

では、なぜ呉に海軍がやってきたのかな??

呉市の地形に注目してみよう!

呉は瀬戸内海に面していて、前を島に後を山に囲まれた地形をしています。

呉の地形

鎮守府が置かれた時代、敵が攻めてくるとすれば艦(ふね)でやってくる時代でした。

地図を見ると島がたくさん浮かんでおり、(ふね)で侵入(しんにゅう)することが難しいことがわかります。

艦で侵入しにくい

さらに、呉湾をまもるため、砲台(ほうだい)がつくられました。

また、山と島で囲まれているため、呉湾の波や風はおだやかで、海軍の艦(ふね)が停泊(ていはく)するのに適していました。

大和イラスト

守りに強く、海軍の基地に適していたから、呉が選ばれたんだね!

なるほど~!

関連する展示物の紹介

呉鎮守府庁舎れんが
開庁(かいちょう)時の呉鎮守府庁舎(ちょうしゃ)のレンガ

これまた渋い!!!

鎮守府(ちんじゅふ)は、ハイカラなレンガ造りだったんじゃよ!