近代への夜明け

大和ミュージアムでは、呉の歴史の中でも明治時代以降の歴史を中心に展示しています。

明治時代、日本は西洋の制度・文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩み始めます。

私たちの生活に必要不可欠である道路や橋が整備され、主要な都市には鉄道が走りました。

日本で初めて電気が灯ったのは、明治時代です。

郵便局電話局ができ、通信制度が整えられました。

このほか教育制度が整い、子どもたちは小学校に通うようになりました。

図書館博物館がつくられたのも明治時代でした。

近代化のイメージ

明治時代に、今の生活の基盤ができたといえるんだね!

明治時代、まち(市街地)の整備が始まったんじゃ!!

発展した呉のようすをみてみよう~!!

すずらん灯のついた本通
鈴蘭灯(すずらんとう)のついた本通(ほんどおり)  昭和初期(笹賀盛夫氏提供)

こちらの写真は、呉のメイン通り。

オシャレな電灯が設置されているのがわかりますか?市内電車も走っていますね。

左側にある西洋風の白い建物には、郵便局のマークがついています。

この写真一枚でも、呉にも近代化の波が押し寄せたことがよくわかります。

呉における近代化のキーワードは、「海軍」なのよ~!!

そう、「海軍」が呉にやってきたから、近代化が急速に進んだんだ!

「海軍」って??

用語解説

海軍(かいぐん)とは、主に海のまもりを担当する軍隊のこと。海洋国家(かいようこっか)日本にとって、大切な任務(にんむ)を果たしていました。

呉市の水道は、海軍によって整備され、市民への給水も始まりました。

本庄水源地堰堤
本庄水源地堰堤(えんてい)
本庄(ほんじょう)水源地堰堤(えんてい)海軍が、二河川(にこうがわ)の本流をさえぎってつくった貯水池(ちょすいち)です。旧海軍土木(どぼく)技術を集結してつくられ、大正7(1918)年に完成しました。当初の姿が残り、なおかつ今も呉市水道に欠かせない施設である点で価値が高いものです。国の重要文化財に指定されています。

じゃあ、なぜ「海軍」が呉市にやってきたの?

それは次回説明するよ!チェックしてみてね!!

関連する展示物の紹介

水道管の一部
海軍に敷設(ふせつ)された水道管の一部

なかなか渋い展示だね・・・

展示室では動画やパネルで説明しておる。見学に来るのじゃ~!